19日夜、私の住む石風呂町内会の盆踊り大会が開催されました。
午前中、毎年8月に町内の中心にある小高い山の山頂にある「法経塔」の供養祭の夜に町内で盆踊り大会が開催されます。
私の記憶では、昔はこの「法経塔」のある山頂広場で行っていましたが、あまりにも急な坂道のため今では、町内の空き地で開催しており、私も参加しました。
日曜日の夜と云うことで、例年と比べ多くの町民が参加して盛会でした。
今年、この「法経塔」のいわれについて市の担当課で調べていただきました。
ここに設置されて250年ぐらい前の江戸時代のもので、正式には「宝篋印塔」(ほうきょういんとう)と云うらしいです。
文献によると、「宝篋印塔とは仏塔の一種のことで、主に供養塔として建てられます。
もともとは宝篋印陀羅尼という呪文が納められた塔のことを宝篋印塔と呼んでいましたが、現在では四隅に突起した飾りのある塔であれば、呪文がなくても宝篋印塔と呼んでいます。」とありました。
日本では、古くは鎌倉時代から立てられているそうで、もし町内にある塔が、その時代建立なら文化財だったと云われました。
石風呂町には、少なくても江戸時代には集落があったと云うことです。
地域の歴史改めて勉強できました。
8月1日、谷合正明農林水産副大臣が、広島経由で愛媛県に入り、今治市内、そして松山市内の高浜町の樹園地・ため池被害、そして興居島に渡り、由良町、泊町の樹園地被害状況の調査に高浜町から同行しました。
生産者からは、『今から「清美」「せとか」「甘平」「紅まどんな」などの中晩柑の散水や農薬散布などに取りかかる大事な時期。
特に視察されている島嶼部や沿岸部では高品質の柑橘ができ、また40歳50歳代の若い後継者が20%を占めている。
今回の豪雨被害でモノレールや散水塩ビパイプも至る所で寸断しており、復旧には時間がかかるので、今からの散水や消毒、収穫などに課題が多い。
若い後継者が意欲を持って営農できる園地復活のための公助をお願いしたい。』などの説明・要望があった。
副大臣からは、これまで皆さん意欲を持って営農してこられました。
園地復活のため、単なる応急復旧措置にとどまらない、息の長い支援をしていきたいと話がありました。
上記写真は左から
【災害現場で説明を受ける】
【2枚~4枚目は土砂に押し流されたミカン園・ビニールハウス】
【興居島から対岸の高浜町をみると土砂が流れた痕跡がはっきりと見えた】
今月6日から7日にかけての豪雨で、大きな被害を受けた地元の高浜地区を、台風12号による風雨が治まった夕方、地域内を回って二次被害の有無を確認しました。
この地区は、主に土砂崩れが多発し、流れ出た土砂を一応撤去はしたものの、土砂が流れた法面はそのままで、大量の雨が降れば、再び土砂崩れが起こる恐れがあり、今回も早くから住民に対して避難勧告が出ていました。
回ってみて、大きな被害こそ出ていませんでしたが、やはり排水路には、真砂土が滞積しており、土砂崩れの危険性は、崩壊法面への抜本的な対策を講じなければ再び起こる可能性が十分になります。
早急な、土砂崩れ被害への対策工事が必要になります。
上記写真は、台風による降雨で土砂崩れを防ぐ対策の様子
高浜地区のみな様が「力強い援軍」を待っています。
7月11日より松山市と松山市社会福祉協議会の連携のもと、今回の豪雨災害で被災された地域への「災害ボランティアセンター」を開設します。
特に被害の大きかった、また派遣要請のつよい「高浜地区」へのボランティア派遣になります。
災害ボランティアに参加するには、朝、9時までに松山市若草町8番地2の松山市社会福祉センター1Fに集合していただきます。
そして、ケガや事故へのボランティア保険に加入(希望者)の手続きののち、ボランティアセンターが準備した車両で、活動地区に向かいます。
乗ってきた車両については、松山市社会福祉センターの駐車場がありますが、多数の場合駐車でき無い場合もあります。できるだけ公共交通機関や2輪車などでお越しください。
作業道具がない場合でも、災害ボランティアセンターで、道具類は貸していただけます。
参加者は、長靴、マスク、手袋、飲み水などについては、ご持参ください。
大量の土砂が、道路や宅地内また家屋の中に残っています。
みな様のお力を是非ともお貸しください。
よろしくお願いいたします。
『共感したらRT』
なお不明な点は、
松山市社会福祉協議会・地域福祉部・ボランテイア活動推進課
☎089-921-2141 までご確認ください。
上記写真は、10日現在の被災地の様子
8日10時から高浜校区の成人式が海が見える松山観光港ターミナルの2階で開催されました。
隣接の立体駐車場から、海を見ながらデッキを歩き直接会場に行けるようになっている会場ですが、今日は残念ながら雨模様でしかも海が荒れて、また強風で晴れ着姿では可哀想だなと思いながら会場に。
高浜校区成人式は、出席率良いんです。
本年は対象が53名に対して48名が参加、9割超えています。
オープニングは、地元の高浜小学校の生徒による水軍太鼓の演奏、曲目は「出陣」と「平和」。
小中学校の先生の皆さんのお祝いの言葉、新成人代表者を代表して2名の方が抱負を述べて、小学校と中学校の校歌を歌って式典は終了。
その後に、ターミナルロビーで出席者全員での記念撮影で終了でした。
特にその中で、中学時代の恩師から、この学年の卒業式で生徒代表が読んだ答辞のなかの「人は一人では生きていけない。いろいろな人に支えられて、感謝しながら生きていく人生」の言葉を引用し、改めて新成人にエールを贈っておられました。
思わず「そのとおり」と感じた時間でした。
12月7日午後6時30分から地元、高浜中学校内で第5回高浜版学校運営協議会(CS会議)が開催され、公民館長、地区の自主防災組織の代表、児童民生委員、おやじの会、父兄代表、愛媛大学、高浜小・中学校関係者など約20人が参加しており、私も地元市議として参加しました。
主な内容は、防災訓練について、高浜小学校、高浜中学校、そして高浜地区自主防災会からの取組が紹介されました。
特に今月18日(日曜)朝8時から、避難場所としての高浜中学校を中心に、高浜小学校、松山西消防署、高浜地区自主防災組織、更に愛媛大学との連携のもと、「教育活動中に大地震が発生し、津波の心配があるため避難所として高浜中学校を開放する」という設定のもとで防災避難訓練が行われます。
その詳細な内容について討議が行われました。
また、地域の住民、学校が連携して学校教育を進めていく仕組みである、「コミュニティー・スクール」について、11月に地域から教育委員会に提出した コミュニティー・スクールを高浜校区で指定することについての要望書を提出していましたが、その回答が報告されました。
このコミュニティー・スクールは、県内では愛南町で、更に新居浜市だけにしかなく、松山市内にはありません。
教育委員会の回答は決して前向きではない内容でしたが、会議では、今後も高浜校区の特性を生かした地域ぐるみの取り組みを継続して進めていくことになりました。
次回は2月17日に本会が開催されます。
25日午前、地元の高浜校区内で恒例の「まちかど遊説」を党員の皆さまと共に行いました。
スタートの松山観光港前の遊説で思わぬハプニングありました。
それは私の遊説で、今回のパラリンピックで高浜5丁目出身の廣瀬悠・順子夫妻が柔道で そろって出場し、順子さんが見事に銅メダルを獲得した話をして、4年後の東京オリンピック、来年の愛媛の国体を目指しているなかで、今後障がい者スポー ツの振興について、問題点を克服し、再びパラリンピック、えひめ国体で、多くの感動と勇気 を与えてほしい・・・・・と、話しました。
その私の声を聞いて、廣瀬悠さんのお父さんが我々の様子を見に来てくれたとのこと。
みんな喜んで、悠さん夫妻のいろいろなお話を聞かせて頂き、記念撮影(上記左側画像の真ん中で黒色のTシャツのか方)もして頂きました。
その後は、場所を変え校区内の松ノ木交差点で遊説を行いました。
天気こそ曇り空でしたが、多くの皆さんから手を振って頂きました。感謝
毎年恒例の石風呂町内会・敬老会が開催され本年も来賓で出席させていただきました。
また市役所からは、矢野一郎保健福祉部長が野志市長の代理で出席していただきました。
私の住む石風呂町内会は、いま小学生が多いんです。
町内に分譲団地ができ、若い家族が増えたからです。
児童の合唱では、34名もの小学生が元気な声で歌ってくれて、高齢者の方々も手を叩いて喜んで頂きました。
今年のメインは「ビンゴゲーム」、豪華?な、商品を前に皆さん真剣に遊んで頂き、その後は、社交ダンスあり、カラオケありであっという間の2時間半でした。
最後は、出席者の中で最高齢91歳の男性の方の唱和で、万歳三唱をしてお開きになりました。皆さまお疲れ様でした。
いつもながら、裏方でお手伝いをして頂いている、町内会の役員の皆さま、ボランティアの皆さまに感謝申し上げます。
上記画像が左から
【子どもたちが事前に書いたお爺ちゃん、お婆ちゃんの絵】
【子どもたちの合唱に皆さん喜んで頂きました】
【皆さんビンゴゲームに熱中しています】
リオデジャネイロ・パラリンピック第3日目、視覚障がいの女子柔道で、57キロ級の広瀬順子さんが、3位決定戦を制し、銅メダルに輝きました。パラリンピックで日本女子柔道として初のメダルになりました。
今回のリオ・パラリンピックでは、松山在住の広瀬 悠(はるか)・順子夫妻は、共にメダル獲得を目指しています。
順子さんは、山口県出身で小学校5年で柔道を始め、高校生の時にはインターハイの出場しましたが、大学1年の時に、膠原(こうげん)病を患い、その影響で視力の大半を失ったそうです。
しかし柔道への想いは諦められず2012年から視覚障がい者柔道への転向されました。
その時の海外遠征で夫の悠さんに出会い、昨年結婚し夫婦でパラリンピックのメダルを目指しています。そして現在松山市内に在住され、夫婦で稽古に励んでおられます。
今回のリオ・パラリンピックへ夫婦での参加が決まり、7月31日に松山市内のホテルで開催された広瀬悠・順子夫妻リオ・パラリンピック壮行会に、発起人の1人として出席させて頂きました。
私と広瀬悠さんは、同じ高浜中学校の卒業であり、私自身も高校で柔道をしていた関係で、8年前の北京パラリンピックの頃から同地域に住む彼を応援させて頂いています。
次は悠さんの90キロ級でのメダル獲得を願っています。