2005年12月 8日 (木)

青年海外協力隊員のホームページが、松山国際交流協会のリンクコーナーに登録されました。

200512082

平成16年度3次隊の青年海外協力隊員の渡部 幸隊員(松山市出身)がホームページを公開されていることは、以前にも書かせて頂きました。
 私のホームページでもリンクさせて頂いていますが、今回、ご本人の了解を頂き、また、松山市の国際文化振興課のご尽力で、協力隊員のホームページが松山市の国際的な部署である「財団法人松山国際協力協会」のリンク先に初めて登録されました。
 この件につきましては、以前から担当課にはお願いをさせて頂いていた経緯もあり、大変嬉しく思います。
今後、協力隊員の活躍の理解を広げていただくためにも、協力隊員が作成した多くのホームページがこのコーナーにリンクされることを望んでいます。

※アクセス方法は
財団法人松山国際協力協会ホームページ 

松山国際交流センター                 

③サイドバーにある「MIC通信」(ブログ)

④ホームページ「今日のひとこま」

2005年11月22日 (火)

青年海外協力隊員の松山市表敬訪問に同行しました

200511220200511221 青年海外協力隊平成17年度2次隊員 の松山市出身の女性2隊員と、育てる会、青年海外協力協会からの同行者6名は、松山市を表敬訪問しました。
市役所では、中村市長が公務のため木村俊介助役との面談、その後、市議会を訪問し、一橋邦雄議長(左記右の写真、左から3人目)との面談を行いました。 
門間英恵さん(上記左写真の中央)は、南米パラグアイに派遣され、首都アスンシオンから400Km離れた市であるコンセプシオンにある教員養成校で、中等教育課程芸術学科の学生30名に音楽の授業を担当し、また学生の教育実習、授業案の策定や教授法の助言を行う予定です。 
三好典子さん(上記左写真の左側)は、中米ベリーズに派遣され、首都ベルモパンにある同国雄一の大学で、昨年完成した体育館で、この施設のタイムスケジュール作成、管理、同施設を利用して学生等を対象としたレクレーションの計画、運営、学生の球技指導、体育関連の行事の支援を行う予定です。 
パラグアイまで、航空機を使っても34時間かかり、更に任地までバスで6時間、そのバスも便数は少ないとのこと。地球はまだまだ大きいと感じました。そして派遣中の約2年間は帰国できないとのことです。
日本を遠く離れ、任地で国際援助の最前線で頑張る多くの若者にエールを贈ります。
どうか身体には十分気をつけ、元気で帰国されることを祈っています。2年後に再びお会いすることを楽しみにしています。

2005年10月 5日 (水)

シニア海外ボランティアが出発前に中村市長・一橋市議会議長を表敬訪問しました

200510050200510051

 10月5日午後、13日にスリランカに向けて出発する、松山市在住のシニア海外ボランティア隊員の仙波 正さんに同行し、中村時広松山市長一橋邦雄市議会議長を表敬訪問しました。 
仙波隊員は、今後2年間コロンボ市(事実上の首都で人口80万人)の下水道施設管理部署に於いて、下水道管渠及びポンプ場の保守、点検、洗浄、浚渫などの保守管理業務全般にわたる指導助言を行うようになります。 
お話によると今回の海外ボランティア参加は、「年齢も50歳を超え、子供も独立した機会に、若い時から考えていた海外ボランティアに参加して、海外での新しい体験で、更に自分自身のスキルアップを図っていきたい」と思い、応募したとのことでした。 
今の心境を「本当に、小さい時の遠足の前夜にようにドキドキしています」と、云われていました。 
また現地での生活について「スリランカには、日本人会(会員800人)があり、言葉も現地語のシンハリ語より英語の方が通じるとのことで任地での生活はあまり心配していない」とのこと。
「ただ食事は、ほとんどカレーで辛さは世界一との定評であると聞いているので、それが心配です。しかし美味しい魚が捕れるとのことで自分で料理もしたい。」と云われていました。 
中村市長、一橋議長から、「生活環境が大きく変わるから、くれぐれもお身体には十分お気をつけ、無事帰国されることを祈っています」と、労いの言葉を頂きました。

上記写真は、左から
【仙波隊員(中央)と懇談する中村市長(右端)】
【表敬後の記念撮影:前列右が仙波隊員、左が一橋議長、後列は、「青年海外協力隊を育てる会」のメンバー】

2005年9月 4日 (日)

青年海外協力隊のグアテマラ派遣中の渡部隊員からのメールが届きました。

200509040200509041200509042 今年の5月のはじめに、青年海外協力隊員の渡部 幸隊員から、「任地のグアテマラで、日本のことをいろいろ聞かれるが日本の文化と松山、愛媛を紹介するための資料、パンフレットの類は持参してなかったので送って頂けないか、できればスペイン語で書かれたものが希望」と、私も所属している「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」に依頼がありました。  
早速、育てる会の戒能潤之介運営委員長(愛媛県議)、県国際協力協会の協力隊OGの渡部さんは愛媛県関連の資料を、また四国、日本についてのパンフレットは、JICA四国のOGの八木さんのご協力で、そして私は松山市関連の資料を集めました。資料が集まった5月下旬に育てる会の若江進事務局長からグアテマラに資料、パンフレットを送りました。残念ながら現地公用語のスペイン語で書かれた資料は皆無でありました。やはり外国語は英語しかないですね。それも少数なので日本語のパンフも送りました。 
送付先は、国内の郵便事情が悪いのでとりあえずグアテマラの首都であるグアテマラシティーのJICAの事務所に送られ、渡部隊員が首都に行く時に直接事務所に取りに行ったそうです。しかし、首都までは乗合バスで14~16時間、直行バスでも9時間かかるそうです。そして8月中旬に任地のペテンに持ち帰ったそうでした。その御礼のメールが届きましたのでご紹介します。(本メールの転載は渡部隊員のご了解済みです)

まだまだ残暑が厳しい頃かとは思いますが、お体お変わりないですか?
今日はみなさまに送っていただいた資料を基に、日本について話をした時のグアテマラ人の反応をお伝えしようと思い、メールをさせていただきました。
日本の地名の中でも比較的「広島」は知っている外国人が多いので、普段、私は愛媛の位置説明をするときに、「日本の西のほうで、広島の近く」と言っています。
ある日、突然思い出したように何人もの友達が広島の話題を振ってきました。「また、急にどうしたんだろう?」と思いその訳を尋ねてみると、ニュースでたくさん原爆黙祷の様子が流れていたかららしいです。その日は8月6日。
残念ながらそのときにはまだ資料を手にしていなかったのですが、後日、資料を基に日本、愛媛、松山についてのいろいろな話をしました。四季、文化、テクノロジー・・・。その中でもみんなのお気に入りは「松山城」でした。やっぱりカラテ、サムライなどの影響は強いなぁと私も改めて実感しました。中には「これで日本に行く準備ができた」と言ってる友達もいました(笑)。
資料のおかげで、より詳しく日本を知ってもらうことができ、また和気藹々とした時間を過ごすことが出来ました。これもみなさまのおかげです。本当にありがとうございました。そろそろ台風日本到来のシーズンですね。松山、愛媛に大きな被害が出ないことを祈っています。】


渡部幸隊員は、今年春に派遣された隊員で、私の本ホームページのOtherBlog欄でリンクしています。タイトルは「今日のひとこま」です。活躍の様子がよく分かりますよ。
上記写真は左から
【グアテマラはどこにあるの?】
【渡部隊員の任地はどのあたり?】
【今回送らせて頂いたパンフなど】 

2005年9月 2日 (金)

青年海外協力隊の愛媛県庁への帰国表敬に同行しました。

200509020200509021 9月2日愛媛県庁で、平成15年度隊の酒井隊員、和田隊員の女性隊員2人は、高浜経済労働部長に、無事帰国の報告と現地での勤務などについて懇談をしました。
 高浜部長からは、無事帰国のお祝いの言葉、そして隊員一人ひとりの主体的な活動と、現地の方々にとけ込んでの2年間の活動に対して労いの言葉がありました。
【酒井康子隊員】マラウイ・看護師として派遣
現地に派遣されて驚いたのは、医薬品が不足して十分な治療が出来ないので、保健指導で病気の予防に取り組んだ。乳児死亡率が1000人中178人と高く、HIV感染者も診察を受けた人の15%もいる、実際の国民総数の45%程度は居ると思われる。先ずは、手洗いからと指導したが、現地には電気、水道がないので、手を洗う習慣が定着しない。コップ1杯程度の水で手を洗えるような工夫をした。HIV教育の必要性を感じた。こういった状況のなか改善の手応えを感じた。そして現地で、生命の尊さ、自然の大切さ、国際援助の難しさを感じた。(上記写真左側・民族衣装を着てマラウイを紹介する酒井隊員と高浜部長

【和田菜穂子隊員】ブルガリア・陶芸学校にてコンピューターグラフィックの指導に派遣
 
子供達は純朴な雰囲気でニュースなどで日本のことをよく知っていた。親近感もすごく持っている。みんな一度は行ってみたいと云っていた。日本文化への興味、例えば着物、浴衣、書道、TVゲームなど。現地での苦労も今となっては素晴らしい思い出になりました。(上記写真右側・帰国報告をする和田隊員

2005年7月19日 (火)

青年海外協力隊員の表敬訪問が愛媛新聞に掲載されました

200507190200507191  青年海外協力隊の平成17年度1次隊員の県内出身地の首長に対する表敬訪問を、派遣国への出発前に県内各市で行いました。
毎回、協力隊を育てる会のメンバーも同行しての表敬です。
 今回は、地元の愛媛新聞が松山市以外の派遣隊員の表敬訪問についても、記事を掲載して頂きました。派遣隊員にとっても大きな励みになったと思います。
上記記事は左から
愛媛新聞 平成7月6日付の記事です(四国中央市・八幡浜市・今治市への表敬訪問)】
愛媛新聞 平成7月9日付の記事です(松山市への表敬訪問)】

2005年7月11日 (月)

出発隊員の県、松山市への表敬訪問17年度総会に出席しました

200507070

200507071200507072200507073 7月7日午前、青年海外協力隊の17年度1次隊愛媛県への表敬訪問に同行しました。
今回の派遣隊員は男性2人女性4人の6名でした。出身は、松山市、今治市、八幡浜市、新居浜市、四国中央市など県下全域で、派遣の職種は、教師、観光、野菜、青少年活動など多種にわたり、派遣国もザンビアエクアドルバヌアツフィジースリランカサモアなどアフリカ、中米、アジア、南太平洋などの国々です。
 加戸守行知事からは、一人一人に「えひめ青年海外協力大使」の委嘱状が渡され、「愛媛県の代表として派遣国の人づくり国づくりに協力し、本県と派遣国との友好親善に励んで頂きたい。無事に帰国されることを祈ります。」と激励の言葉がありました。

午後は、松山市出身の岡田稔隊員と(ザンビア・観光業)、松山市役所で中村時広市長に表敬訪問し、私も同行致しました。
 岡田隊員は、市内の旅行会社に勤務した経験を生かし、ザンビアでは現地の旅行会社に 必要な旅行の実務と知識を教える任務です。

 夕方からは、「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」の第16回通常総会が松山全日空ホテルで開催されました。私は、運営副委員長として、総会の司会を担当させて頂きました。また、総会後には恒例の宇都宮 民さん(フリーアナウンサー)の進行で、派遣隊員とのトークショーが行われました。なお、このトークショーは7月30日愛媛CATVの9チャンネルで放映されます。またこの時間以降でも随時再放送が予定されています。詳しくは愛媛新聞テレビ欄「タウンチャンネル」、もしくは愛媛CATVのホームページをご覧下さい。
青年海外協力隊一色の一日でした。

上記写真は左から
加戸知事を中心に派遣国の国旗の下に立つ派遣隊員たち】
【松山市出身の岡田稔隊員と委嘱状】
中村市長と懇談する岡田稔隊員】
宇都宮民さんと派遣隊員とのトークショ-の様子】

2005年7月 8日 (金)

参加と協力」に寄稿文が掲載されました

200507078

200507079 「参加と協力」とは、愛媛県青年海外協力隊を育てる会の機関誌です。
 その最新号 第14号(平成17年7月7日発行・全6頁 )の2頁に、副運営委員長として寄稿させて頂いた「感動と共感の日々」の題目の文章が掲載されました。

左画像は左から
【「参加と協力」の表紙】
【寄稿文 (2頁目)】

2005年6月18日 (土)

今治市職員の国際ボランティアなどへの現職参加制度創設について

200506181 6月16日、今治市議会の一般質問で谷口芳史市議は、市の職員が「青年海外協力隊」などの国際ボランティアに参加する場合に障害となっている2年4ヶ月もの長期間の休職が可能となるように『現職参加制度』の条例を制定してはどうかと理事者を質しました。

 理事者からは『(要旨)・・・市職員が国際感覚や貴重な体験を積むことは、活力あるまちづくりの推進にとって有意義なことであり、今後市としても既に条例制定している自治体などで具体的に調査、また関係機関などの意見も聞くなど『調査検討』をしたい・・・。』との、前向きな答弁を頂いたとのことでした。
 
「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」としても今治市の条例制定を期待しています。
上記写真は、最新のJICAボランティア派遣状況

2005年5月19日 (木)

青年海外協力隊員の帰国表敬訪問に同行しました!

200505190  5月19日午後1時30分から、松山市出身で青年海外協力隊員として、2年間発展途上国での任務が終了した2名の帰国隊員の松山市役所への表敬訪問があり木村俊介助役との面談に、私も『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』のメンバーとして同席させて頂きました。
 帰国隊員の久津岡さんは(写真中央)、アフリカのマラウイで、唯一の国立大学で建築学科の学生にコンピューターを使った製図(CAD)の指導を行いました。
 任地に赴くまでは、『アフリカのイメージは、大平原で木々も少なく熱いところと思っていたけれど、実際は山も多く、木々も豊で、気温も日本より少し熱い程度で、年間を通じて日本よりすごしやすかった。』と、また『国民も明るく、すごくフレンドリーであった』、そのエピソードとして『自転車がパンクして困っていたら、通りがかった人たちが大勢集まり、奪い合って自転車を直してくれた』とのこと、云い方を変えると『お節介すぎる』くらいフレンドリーであったとのこと。
 木とかコンクリート主体の日本の建築物とは違い、向こうは日干しや焼き煉瓦の建物がほとんどで、『技術を教えるつもりが、逆に多くのことを学ばせてもらった。』と感想を述べられました。
 もう一人の木守さん(写真左)は、南太平洋のサモアで、唯一の国立大学で日本語教師として日本語や文化についての授業を行いました。
 『サモアの人は、小錦とか武蔵丸のように大柄の方が多くて、はじめは15歳くらいに見られたけれど、慣れれば陽気でフレンドリーな国民性ですぐにうち解けた。』また、『この地域は、公用語は英語と現地語であるサモア語で、まだまだ日本語に関しては関心が低い』とのこと。
 現地での生活は、『1年を通して「夏」で日本のような季節感が無いし、また日本はいろいろな意味で「便利」であると改めて感じた。』、そして『帰国して慣れるまで少し時間がかかりそうかな』と、笑って答えられていました。
 2人とも4月に帰国され、現在は充電期間中とのこと。今後、現地での様々な経験を日本の社会で生かせるように頑張って頂きたいですね。

2005年5月14日 (土)

平成17年度・春募集青年海外協力隊説明会に参加しました!

200505132 200505033

5月13日午後6時30分から愛媛県国際交流センターにて標記の『春募集・青年海外協力隊説明会』があり、私と今治市議の谷口芳史議員は、説明会に参加しました。
説明会には、10名の青年達が参加しました。もっともその内、男性は2名でありました。(毎回、女性の方が意欲的です)
先ず、始めに『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』の武村副会長からご挨拶があり、協力隊の活躍を紹介するビデオを鑑賞し、JICA四国の担当者(OG)から、協力隊の概要説明後、県内在住の協力隊OB、0Gの皆さんとの個別懇談会が行われました。
ここで、青年海外協力隊の現状を現す5種の数字の紹介いたしますます。先ず
① 28歳→青年海外協力隊に応募する若者の平均年齢
② 57%→実際に派遣される隊員の中の女性の比率
③ 19%→実際に派遣される隊員の中の、学生の割合 参考ですが、社会人比率は51%
④ 115種以上→実際に派遣される職種の数
⑤ 46%→実際に派遣される職種の中で、教育、文化分野の派遣隊員の占める割合(昔は、農業、水産、加工、土木と云った製造分野が多く派遣されていたが、今は教育、保健衛生、スポーツなどが約半分を占めます)
ビデオの中で、青年の一言に感銘しました。
それは『慌てない、諦めない、そして頭に来ない』また、『助けようと現地に行ったのに、実際は現地の人たちに助けられ、教えられた』・・・若さって偉大であると感じました。

たとえ今回、不合格でも、また秋募集があります。『』を失わないことです。頑張って下さい。私達も応援します。なお、春募集の〆切は5月20日です。インターネットからでも申請できます。まだ間に合いますので、ぜひご利用下さい。
上記写真は、左から
【挨拶する育てる会の武村副会長
【説明会に駆けつけてくれた協力隊のOB、OGの皆さん

2005年5月 5日 (木)

青年海外協力隊の渡部 幸隊員のホームページ開設のメールが届きました

200505050 200505051

本日、先月グアテマラに派遣された渡部 幸隊員からメールが届きました。
(渡部隊員の詳細は、このサイトの4月2日、及13日の記事を参照して下さい。)

ホームページを開設したとのことで、観せて頂きました
成田発の搭乗機にSNAPの香取慎吾乗っていたこととか、グアテマラの庶民の生活、風景が楽しく書かれています。ぜひご覧になって下さい。
派遣隊員のグアテマラ紹介で、青年海外協力隊やグアテマラに対する理解の輪が広がることを願っています。松山市民による草の根国際理解にエールを贈ります。
早速、私のBLOGのリンクに登録しておきます
下記が、渡部隊員からのメールです

『お久しぶりです。グアテマラ隊員渡部サチです。
お体変わりはないですか?
私は今のところお腹も壊さず、平穏に暮らしています。
日本はGW真っ只中だと思いますが、ここグアテではもちろんGWはありません。
毎日学校に通っています。
語学訓練もあと残り3週間、折り返し地点です。
気を入れなおし、頑張りたいと思います。
さて、やっとブログが形になってきました。
アドレスは 
http://blog.livedoor.jp/sachicoro32/ です。
1~2週間に1回くらいを目途に、ゆっくりと更新していこうと思っています。
お忙しいとは思いますが、お時間があるときに見ていただければ幸いです。』

BLOGから転載した写真です。今日の『子供の日』に因んで左から
【授業を受ける小学校の生徒達・・・さて何の授業?
【子供達が吊した人形をみんなで叩いていますが、なんで?】
BLOG記事に答えが・・・・・

2005年4月27日 (水)

帰国隊員支援プロジェクト」決定の大川さんの壮行会に参加しました。

200504260  青年海外協力隊OG大川さんが、昨年末に「帰国隊員支援プロジェクト」の決定通知を受け、いよいよ来月、任地のエジプトに向けて出発します。  (詳細は2004-12-24のBLOG参照)
 そこで、共に活動してきた「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」の有志による、壮行会が26日に行われ、私も出席させて頂きました。
 松山を5月9日に出発し、成田経由でエジプトに入りします。それから約1年間、大川さんはアレキサンドリアに住んで、そこの障害者施設では陶芸を教え、また電車で2時間のカイロでは、同じく障害者施設で観光客用のお土産のお菓子の作り方を教えるとのこと、共に障害者の経済的な自立のための指導を行うとのことです。
 大川さんより「私なりに頑張ってきます。」と抱負があり、集まった仲間と「エジプトではどんなお菓子が受けるかな?」、「日本にあるような、米を使ったり、サツマイモを使った素朴なお菓子はどうかな・・・」などと、これからの任地での活動の話しに花が咲きました。なお、大川さんの帰国予定は来年3月23日とのことです。

 元気に帰って頂くことを、育てる会の全員が願っております。【写真は、大川さんです。】

2005年4月13日 (水)

青年海外協力隊員からメールが届きました。

200504131 200504130 本ページ、4月2日付の『青年海外協力隊・シニア海外ボランティア出発前表敬訪問に同行しました。』で、紹介させて頂いた、16年度3次隊の青年海外協力隊員の渡部 幸隊員(松山市出身)から派遣国のグアテマラからメールと写真が届きました。
 派遣中の隊員から、直接メールを頂いたのは初めてでしたので感激しました。
 渡部隊員は、中米グアテマラのペテン県フローレス市に於いて、市内の国立公園を訪れる子供達に対して環境教育を行うことになっています。
現在、言葉や習慣など現地で活動していくために必要なものの勉強中であると思います。
メールの一部と添付写真をご紹介します。

(2005.04.13)
『4月7日に無事グアテマラ入りしまして、現在、アンティグアという街で語学訓練中です。
ここアンティグアは、観光地というだけあって、とてもきれいな街です。
中米一危ないといわれているグアテマラでも、比較的安全な街のようです。

ここにいる6週間は、耳をスペイン語に慣らすことと、グアテマラの生活習慣をつかむことに集中していきたいと思います。
すでにマンツーマンの6時間授業で、いっぱいいっぱいになってますが・・・。
また、自由にネットが使えるようになったときに、近況を報告したいと思います。』

出発前の表敬訪問で初めてお会いしました。しっかりとした抱負を語り、明るい笑顔の渡部さんに、松山から「身体に気をつけて頑張って~」と、エールを贈ります

写真は左から
【中村市長との面談:渡部隊員は右から2番目】
住居の屋上からの風景:今回メールに添付されて送られてきました】

2005年4月 2日 (土)

青年海外協力隊・シニア海外ボランティア出発前表敬訪問に同行しました。

CIMG0034CIMG0032CIMG0031CIMG0042 3月28日午後に青年海外協力隊16年度3次隊2名とシニア海外ボランティア1名が加戸守行知事中村時広松山市長及び県の夏井幹夫企画情報部長への出発前の表敬訪問を行いました。
 また「愛媛県海外青年協力隊を育てる会」からは、派遣隊員に対して、画用紙とクレパスのセットを贈呈しました。任地の子供達に身近な絵を描いてもらって、日本での展示などに活用させて頂く予定です。
 任地での活躍と成果を、そして2年後元気に帰国されることを心よりお祈りします。

※青年海外協力隊
【渡部 幸隊員・松山市出身】派遣国:グアテマラ   職種:環境教育
○ペテン県フローレス市に於いて、市内の国立公園を訪れる子供達に対して環境教育を行います。
【河野宅哉隊員・西予市出身】派遣国:ザンビア  職種:青少年活動
 ○カトリック系の孤児院でストレートチルドレンに対して生活習慣の指導や社会復帰への手助けを行います。

※シニア海外ボランティア
【相原誠二隊員・松山市出身】派遣国:マレーシア    職種:オートメーション
 ○愛媛県では8人目のシニア隊員であり、ペダスと云う町にある職業訓練校に於いて、教員に対してカリキュラムの改善、改訂に対するアドバイスとか生徒に対する技術指導の効果的指導方法を教授します。

上記写真は左から
【加戸知事と派遣国旗の前に立つ渡部隊員と河野隊員】
【加戸知事から「えひめ青年海外協力大使」の委嘱状と記念品の授与:河野隊員】
【中村市長との懇談風景:右から市長、渡部隊員、相原隊員】
【夏井幹夫企画情報部長との懇談風景:相原隊員】

2005年2月 8日 (火)

青年海外協力隊員の帰国表敬訪問に同行しました

200502080 2月8日午後4時から、青年海外協力隊員として、2年間アフリカのセネガルでの野菜栽培、栄養指導の任務を終え、無事に帰国された松山市出身の八木隊員(左写真の右から2人目)と、松山市役所にて木村俊介助役に帰国報告をしました。セネガルはパリ-ダカール・ラリーの終点、ダカールを首都とする国で、アフリカの地図を見ると、北のほうが大きなアフリカの、その一番左(西)の端にある国です。

 セネガルの農村部は自給自足の生活をしており、八木隊員は、野菜の栽培技術の普及で食生活の改善、栄養の改善を図るのが任務であり、主にナス、タマネギ、レタスなどの栽培指導をしたとのことでした。
 席上、八木隊員からは、セネガルは本当に熱いところで、初めて風が熱いという熱風を体験したと、また セネガルに行って、少しでも助けてあげようと思って行ったそうでしたが、野菜を栽培している時に害虫の被害を受けて、収穫が出来ない時にも、現地の人からもう一回がんばって作ろうと激励を受けたこともあったそうでした。
このように実際は、現地の方々に助けてもらったとの話しがありました。
 またセネガルの良いところは何かと、現地の方に聞いたら、『セネガルは貧しいけれど、もてなしと平和は他の国には負けない』との返事に感動されたそうです。
また、任務を終了して感じたこととして『こんな力のない私でも、志を持ってがんばれば出来る』と云うことを実感したことだそうです。
帰国後は、今回の体験を生かして、JICA(ジャイカ)の国内協力員として、派遣隊員の様々なバックアップをする予定であります。
同席していていつも感じますが、帰国隊員の言葉一つ一つに自信と力強さを感じました。2年間ご苦労様でした。

2002年11月の出発前の表敬訪問新聞記事は、ここにあります。また、ブログはこのカテゴリーの2002年11月28日参照して下さい。

2005年1月 6日 (木)

日系社会青年ボランティア』の出発前の表敬訪問に同行しました。

200501063200501062200501061200501060 1月6日午後、この度 日系社会青年ボランティアとしてメキシコに派遣される松山市の藤岡さんと同行し、愛媛県庁では夏井幹夫企画情報部長を、松山市役所では中村時広市長を表敬訪問しました。
  『日系社会青年ボランティア』とは、青年海外協力隊と同じJICA独立行政法人国際協力機構・理事長 緒方貞子)の国際ボランティア事業であり、中南米地域の日系社会で、自分の持っている技術や経験を活かそうという青年を派遣し、支援するのが日系社会青年ボランティア事業です。日系社会青年ボランティアは、移住者・日系人の人々とともに、生活・協働しながら、中南米の地域社会の発展のために協力をするボランティアであります。
 
今回派遣される藤岡さんは、メキシコのメヒカリ市の語学センターで日本語学校の講師として2年間派遣されます。既にメヒカリ市の同センターでは日本語教育を行う学校として基盤は整い、生徒数も増加していますが、日本語を十分に話せる日系人が既にいなくなっているので、学校で日本語クラスの担当教師、また日本語教師への指導、日本文化の紹介を目的とした行事の企画、実施などがこの度の派遣目的であります。彼女はこの学校では歴代5代目の先生になるとのことです。
 愛媛県から日系社会青年ボランティアとして派遣されるのは、藤岡さんが8人目となります。

 藤岡さんは、大学でスペイン語を専攻し、学生時代にメキシコには2回の訪問滞在があり、それがご縁となり今回のメキシコ派遣に繋がったとのことでした。メヒカリ市は、メキシコの北部のアメリカとの国境近くに位置し、太平洋に面した街で人口は80万人とのことです。夏は40度を超える暑さになるとのことでした。対日感情も良いところであるとのことであります。今月の13日にメキシコへ向けて出発されます。
 夏井企画情報部長からは、「派遣中、身体には十分お気をつけ、元気に帰ってきて欲しい。またその経験を愛媛で生かして頂けるよう期待している」との激励の言葉がありました。

写真は左から
【夏井幹夫企画情報部長と懇談されている藤岡さん】
【育てる会の運営委員長(戒能潤之介県議)と藤岡さんと私】
【今回同行のJICA、育てる会のメンバーと中村時広市長、藤岡さん】
【夏井幹夫企画情報部長と懇談されている帰国隊員4人】

続きを読む "『日系社会青年ボランティア』の出発前の表敬訪問に同行しました。" »

2004年12月24日 (金)

青年海外協力隊OGのプロジェクトが採用されました!!

200412240社団法人協力隊を育てる会(三浦朱門会長)が募集した『帰国隊員支援プロジェクト』に応募し、審査のうえ多くの応募のなかから、見事支援決定の通知を受けました。
 帰国隊員支援プロジェクトとは帰国隊員への支援事業で、青年海外協力隊帰国隊員として途上国で暮らし、そこで生きる人々とともに働いた経験を活かして、帰国後も途上国への協力活動や海外協力のための調査研究をするなど、国際協力に関わっている方々に、活動に必要な経費の一部を支援するものです。
 今回、決定したプロジェクトの内容は、以前に協力隊員として赴任していたエジプトの民間の職業訓練校に於いて、障害者に、観光客のお土産用としてお菓子を作るノウハウを習得させると云うものであります。その為に必要オーブンなどの調理機材とか、食材の購入費がプロジェクトの支援対象になっています。
 大川さんが、以前エジプトに赴任中、せっかく多くの観光客がいるのに、観光客に対して現地の特性を生かしたお菓子などが販売されていないところに着目し、障害者が自立できるよう自分たちでお菓子を作って販売すれば、収入が得られ、自立へ道が開けるのではないかと考えたとのことです。
 支援期間は、来年1年と云うことで、年明けから準備にとりかかり、来年4月には現地に赴き、障害者に対して、調理方法とか、商品開発の指導を行う予定になっています。
 愛媛県青年海外協力隊を育てる会としても、積極的に応援していくことになりました。

写真は、決定通知書を持つ大川さん

2004年11月28日 (日)

第13回開発教育全国集会えひめ大会が、開催されました。

P1000334P1000339P1000344P10003512004112823P1000363 愛媛県青年海外協力隊を育てる会と(社)協力隊を育てる会が主催して、『子ども達の未来のために』のテーマで、松山大学構内で27日28日の2日間開催されました。開発途上国で活躍する青年海外協力隊員の経験を国際理解に役立ていこうと、今回のえひめ大会は企画されました。
 27日は、元NHK解説委員で放送ジャーナリストの平野次郎氏の基調講演がありました。
講演は、『世界が日本に求めるもの』と題して、学生時代に経験した伊勢湾台風の復興支援のボランティア活動や、ヨーロッパ支局勤務時代の取材で知った、『国境なき医師団』の活動をとおして、国際理解や国際協力のあり方を話されました。『汗を流して働く大切さ、自分を無にして働く楽しさを知りその後の人生に大きな影響を受けた』と回想され、『人道には国境は無い、国が助けろと云った人たちだけではなく、必要とするすべての人を支援するべきではないか』と、訴えました。
全国から、ボランティア活動家、市民、教師、学生ら約450人の参加がありました。

その後、参加者は6つの分科会(①学校教育、②共生、③水資源、④地域、⑤食育、⑥コメ)に分かれ、それぞれのテーマで国際理解、協力について議論を重ねました。
私は、『⑥コメ』に参加しました。今年は、国際米年にあたりアジア地域で多く作られているコメについて、日本での優れたコメづくり技術や農業機械をとおして、日本のコメづくりを世界にどう生かしていけばいいのか、また日本の農業と世界との関わりについて議論を重ねました。
28日は、井関農機㈱の工場を訪ねて、最新農機具の説明を受けました。開発途上国の稲作に、優れた農機具を開発、普及させて、コメの生産アップや省力化を図ることで、現在の貧困や食糧難などが改善され、開発途上国に貢献していくことが出来ることを学びました。

上記写真・左より【開会の挨拶・愛媛県青年海外協力隊を育てる会の関会長と司会の宇都宮 民さん】
【基調講演・平野次郎氏】
【分科会・『⑥コメ』の様子】
【分科会・『⑥コメ』28日の井関農機の工場にて】
【分科会・『⑥コメ』28日の井関農機の工場にて伊藤隆弘委員(独身)】
【分科会・報告会での『⑤食育』の発表】

2004年11月27日 (土)

平成16年度青年海外協力隊員の表敬訪問に同行しました。

200411261200411262200411263200411264 26日午後、12月に出発する本県出身の16年度青年海外協力隊第2次隊員5名に同行し県庁、松山市役所を表敬訪問しました。
愛媛県庁では加戸知事から「えひめ青年海外協力大使」の委嘱があり、委嘱状と記念品の授与がありました。席上、加戸知事から『今まで、研鑽してきたものを生かして、夢や志を大きく育てて下さい。また、ソクラテスの「若い時には、困難と思われることは何もない」との言葉を引いて、どんどん挑戦して欲しい。そして、任地での2年間の経験は将来の人生の肥やしになると確信しています。元気で愛媛県人としての誇りを忘れず頑張ってきて欲しい』と、激励の言葉がありました。
そのあと松山市出身の2名は、松山市役所にて中村市長を表敬訪問しました。
今回、松山市職員の佐伯孝志さん(公営企業局勤務)が、県下の教職員、警察官を除いた一般の公務員として初めて現職派遣されます。更に、松山市に於いては、平成10年に制定された、市職員の海外ボランティア活動を支援するために休職制度を利用する条例制定後、初めての派遣になります。
 佐伯さんは、カンボジアに派遣されアンコールワット遺跡の地図をコンピューターを使って制作する仕事をするとのことであります。
 また、同席した 2次隊員の石崎さんは、ドミニカ共和国で、村落開発普及員として識字教育を推進する仕事をされます。
本市に於ける国際交流は、姉妹都市との交流が前面に出ているように思いますが、このような青年海外協力隊員による、途上国への支援活動ももっと啓蒙し、推進していかなければならないと思います。

上記写真・左から
【加戸愛媛県知事と、派遣国の国旗の前の派遣隊員5名
【中村松山市長と懇談する派遣隊員、育てる会のメンバー】
【左から中村市長、派遣隊員の石崎さん、佐伯さん
【派遣される松山市職員の佐伯孝志さんと、雲峰議員】

2004年11月21日 (日)

世界平和を祈念した『生命の碧い星』が完成しました。

200411181200411185200411198200411199


青年海外協力隊のOBで、現在は、青年海外協力隊を育てる会の運営委員として、協力隊員を支援されている白潟八州彦さん(砥部町在住・八瑞窯代表)から、3個目の『生命の碧い星』が完成したとのことで、工房にお伺いして拝見させて頂きました。
白潟さんは、昭和43年から2年間、青年海外協力隊員としてフィリピンへ派遣され、陶芸の指導をされました。その時、白潟さんが日本人と分かると、延べ何百人ものフィリピン人から、第2次世界大戦時に、日本兵はこんな残虐な行為をしたと云われたそうでした。
白潟さんはその時に、人間の歴史が始まった時には、人と人を分け隔てる国境は無かったはずだと、そんなものがあるから人と人が憎しみあうのだと、そして永遠の世界平和を願って、磁器で碧い国境のない地球を創ろうと思ったのが、この「生命の碧い星」制作のきっかけだそうです。
 今回の作品を含め、現在まで3個の「生命の碧い星」が創られています。
1個目は、平成7年に国連設立50周年を記念して創られ、現在スイスのジュネーブの国連欧州本部の中の、軍縮会議を行う部屋の入り口のフロアーに展示されています。【写真・右から2番目】
2個目は、砥部町内にある砥部焼伝統産業会館内に展示されています。
そして制作に約3年の歳月を要した今回の『生命の碧い星』は、世界平和を祈念して(財)倫理法人会冨士高原研修所に寄贈されることになっており、来週には設置されるとのことでした。

【写真・左は、『生命の碧い星』の主体部分と白潟八州彦氏
【写真・左から2番目は、台の部分と天頂部分で、現地で結合されます】
【写真・左から3番目は、ジュネーブの国連欧州本部の『碧い地球』】
【写真・左から4番目は、白潟氏制作で、松山空港にあるモニュメント『三美神』】


2004年11月18日 (木)

青年海外協力隊員の帰国表敬に同行しました。

200411170200411171 11月17日14時から、愛媛県庁で青年海外協力隊員の帰国表敬に同行しました。 県庁では、夏井企画情報部長が対応され、帰国隊員の 篠原さん(コンピュータ技師としてタイに派遣・四国中央市出身)と、村上さん(小学校教諭でドミニカに派遣・今治市出身)の2名と、隊員を派遣した独立行政法人国際協力機構の有田支部長代理、そして愛媛県青年海外協力隊を育てる会からは、滝口さん(JICA愛媛県進路相談カウンセラー)など関係者も同行しました。
 席上、夏井部長からは、無事に2年間の活動を終えて帰国されお疲れさまでした、と労いの言葉がありました。
また、帰国隊員からは、言葉の問題で1年くらいは、なかなか伝えたいことが相手に伝わらなくて苦労したが、後半は現地の方が日本語流の現地言語を理解してくれるようになったとか、これから協力隊員として派遣される後輩に対しては、現地の人たちに教えていくんだと云うような使命感よりも、気軽に行って、こちらが何かを学んで帰ろうと思った方が良い結果になるのでは、など2年間の活動のエピソードを語られていました。

【上記写真 左:右から村上隊員、篠原隊員、夏井部長】
【上記写真 右:右から滝口カウンセラー、村上隊員、篠原隊員、雲峰】

2004年10月29日 (金)

第13回開発教育全国集会えひめ大会まで、あと1ヶ月となりました

200410080200410081200410082200410083200410084200410085

11月27日(土)~28日(日)の2日間、松山大学の構内で第13回開発教育全国集会えひめ大会が開催されます。
愛媛県青年海外協力隊を育てる会と、社団法人協力隊を育てる会が主催で、四国で初めて開催されます。
私は、9年前から『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』の会員として、様々な活動、勉強をさせて頂いています。

今回は、『子どもの未来のために』とのテーマで開催され、開発途上国で活動している青年海外協力隊員の体験を国内の国際理解、国際協力の推進に生かしていこうとするものです。

基調講演は、演題は『世界が日本に求めるもの』で、元NHK解説委員の平野次郎氏の予定であります。参加費は無料ですが、事前の申込が必要です。
 基調講演の終了後2日間にわたり、6つの分科会が開催されます。バラエティに富んだ様々な観点から、国際理解、協力をより広げ、深めていきたいと思います。堅い話ばかりではなく、自分の箸を作ったり、世界のコメづくりの現状など、身近で楽しい分科会もあります。
 また27日の夜には、全国から集った方々との交流パーティも予定されています。
なお、分科会も交流パーティも有料で、参加申込みが必要となっています。
参加申込みなど詳細は、上記のご案内を参照して下さい。

是非、多くの方々の参加をお待ちしています!!

2004年10月11日 (月)

シニア海外ボランティアが、松山市長に出発前表敬訪問をしました

200410040

10月4日の午後、シニア海外ボランティアとして、ラオスに派遣が決まった高岡さん(松山市在住)は、愛媛県青年海外協力隊を育てる会のメンバーと愛媛県庁表敬の後、松山市役所を表敬訪問して、中村時広松山市長と面談しました。
高岡さんは、ラオスの首都ビエンチャンに市のラオス日本技術研修センターで、電子機器の修理技術の指導や修理測定機器、測定治具の指導を行います。また研修受講者に対する技術の講義も担当します。
シニア海外ボランティアとして、松山市民が派遣されるのは、今回で2人目です。
私は、10年にわたり『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』のメンバーとして、志をもった若者の派遣隊員をたくさん見てきました。
若いから決意出来る面ももありますが、高岡さんのようにシニアとして決意することは大変なことであると思います。
今回派遣される高岡さんの決意、志に心より敬意を表します。
(上記写真の前列右が高岡さん、左が中村市長です)

2002年11月28日 (木)

青年海外協力隊員の、松山市役所表敬訪問に同行しました。(地方紙)

100021 (愛媛新聞 2002年11月28日)
松山市出身の海外青年協力隊2002年度2次隊の八木さんに同行して、松山市役所を表敬訪問し、松崎助役と懇談しました。
八木さんからは、『協力隊は小さい時からの夢でした』との言葉に、心から頑張って頂きたいと思いました。志に感動です!
いつものことながら,心が熱くなります。
元気で帰国されることを祈ります。