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11月1日市民のお手元に届けられる「広報まつやま」から、【問い合わせ先】にFAX番号が記載されるようになりました。私が、9月議会に於いて、「障害者へのきめ細かな配慮について」いくつかの点について質問しました。
その中の、FAX番号に関する部分は、次のような内容です。
→『市民の皆様への大事な広報手段である「広報まつやま」の記事のなかに、聴覚障害者のお問い合せ先としてのFAX番号を記載して欲しいと云うことであります。聴覚障害の方より指摘を受けるまで気づきませんでしたが、確かに聴覚障害者は、電話をかけることが出来ません。9月15日配布の「広報まつやま」で調べましたが、【問い合わせ先】にFAX番号は、1カ所も記載されていませんでした。
聴覚障害者の通信手段としては、すでに普及が進み操作が簡単なFAXがもっとも適していると云われています。広報まつやまや、市発行のパンフレットなどの、問い合わせ先にFAX番号も記載するお考えはないか。お伺い致します。』
理事者の答弁で、今後、「広報まつやま」や、市発行のパンフレットなどの、問い合わせ先にFAX番号も記載するとの答弁があり、今回の「広報まつやま」から、改善されました。
上記の、記事は一部ですが、お問い合せ先のすべてにFAX番号が記載されています(黄色マーカーカ所)
11月27日(土)~28日(日)の2日間、松山大学の構内で第13回開発教育全国集会えひめ大会が開催されます。
愛媛県青年海外協力隊を育てる会と、社団法人協力隊を育てる会が主催で、四国で初めて開催されます。
私は、9年前から『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』の会員として、様々な活動、勉強をさせて頂いています。
今回は、『子どもの未来のために』とのテーマで開催され、開発途上国で活動している青年海外協力隊員の体験を国内の国際理解、国際協力の推進に生かしていこうとするものです。
基調講演は、演題は『世界が日本に求めるもの』で、元NHK解説委員の平野次郎氏の予定であります。参加費は無料ですが、事前の申込が必要です。
基調講演の終了後2日間にわたり、6つの分科会が開催されます。バラエティに富んだ様々な観点から、国際理解、協力をより広げ、深めていきたいと思います。堅い話ばかりではなく、自分の箸を作ったり、世界のコメづくりの現状など、身近で楽しい分科会もあります。
また27日の夜には、全国から集った方々との交流パーティも予定されています。
なお、分科会も交流パーティも有料で、参加申込みが必要となっています。
参加申込みなど詳細は、上記のご案内を参照して下さい。
是非、多くの方々の参加をお待ちしています!!
10月27日に、来年1月1日の合併を前に、松山市、北条市、中島町の合併協議会の主催で、合併シンポジウムが、松山市総合コミュニティセンターで開催され参加しました。
会場には、3市町の住民 約1000人が参加しました。会場の外では北条市、中島町の物産即売会も開催されており、また、シンポジウムのオープニングや後には、郷土色豊かな太鼓や、松山市内のジャズダンスチームによる演技などもあり、こういったシンポジウムにある堅苦しい雰囲気はありませんでした。
基調講演では、経済ジャーナリストの杉本好正氏から、『市町村合併は地方分権の受け皿のゴールではなく、地域をどのように変えていくのか、そのための挑戦していくという意識改革が皆様に求められる』と、問題提起がされました。
シンポジウムでは、特別ゲストの酒井ゆきえさん(フリーアナウンサー)から、『松山市民ではないが、市民の立場なら合併して、市民サービスはどうなるの?特に福祉、教育は?、また、市民の負担はどうなるの?。そして、新市の負債はどう返済していくの?。こういった身近な問題に対して、市民への情報発信が重要だと思う。』とありました。
コーディネーターの藤目節夫氏(愛媛大教授)は、最後に『例えば自分の人生を他人に任せることはしないように、自分たちが住む街づくりを他人に任せっきりにしてはいけない。自分たちも参加して、自己責任で創っていくことが大切である。』また、『合併で行政エリアが拡大し、住民がこれからどうなっていくのか不安な今こそ、街づくりのチャンスである。』と、まとめられました。
10月25日午前10時から、松山市と平澤市(ピョンテク市)との友好都市提携の調印式が、松山市役所前広場で行われました。
松山市の友好・姉妹都市は、アメリカ合衆国のサクラメント市、ドイツのフライブルグ市に続き3市目になります。
松山市と平澤市は、約10年前から続いていた、相互の民間団体とのつながりから、今回の行政間の友好都市調印に結びついたとのことでありました。
調印された協定書には、信頼と友好精神に基づく協力関係の維持、友好交流と経済交流の発展への寄与、市民や民間団体との連携を図るほか様々な分野での交流の3点を約束し、市旗の交換がされました。
日本にとって、地理的、歴史的に見ても、一番近くて身近な国である、韓国や、平澤市との友好親善の交流を期待しています。
写真は、左から市旗の交換、平澤市サムルノリチ-ムの踊りと市内久米中学校水軍太鼓同好会の皆様の演奏風景、そして、平澤市の概略の場所です。
【平澤市は、どんな都市?】
平澤市は、ソウルから南に車で約1時間30分(約80キロ)の距離に位置し、人口36万人、面積は、松山市の1.5倍の452km2で、首都圏と南部をつなぐ交通の中心地です。また、5千年の歴史と伝統が綿々と受け継がれた伝統文化が生きづく由緒ある都市です。
地名(平澤/全員が豊かに暮す)が意味するとおり、広々とした平野と豊かな水など、自然条件を備えています。
郊外には広大な果樹園と水田が連なる農村風景も見られ、韓国一おいしいと言われている平澤米と梨の産地としても有名です。
平澤市では、「美しく住みやすい都市」を目指して、きれいで美しい街を守り続けています。
また、人口の一極集中が問題となっているソウル特別市の衛星都市として発展を遂げ、大手電器メーカーや自動車会社など、先端産業が次々と進出しています。そして高速道路や巨大橋などの社会資本が整備され、それに伴う人口増に対応するための高層集合住宅が急ピソチで建設され、新興都市特有の活気がみなぎっている都市です。
韓国の3大国策港湾である平澤港は、東北アジアの貿易・流通の中心であり、内陸輸送網が整備された総合貿易港です。
また、大規模な8つの先端工業団地を抱え、ソウルと直結する高速鉄道や高速道路を有し、平澤港の大規模な開発により、貿易・物流及び先端産業都市として更なる発展を続けています。
10月22日午後、中島のかんきつ類の海外への販路拡大について、中島町での販路の現状と、生産農家に於ける問題点の調査のため、中島本島に渡りました。
町役場では担当者から、2年前に、以前からあった中島みかんのブランドが、JAの合併によって統一された別のブランドになってから、中島産みかんの東京大田市場での取引価格が下落したと云われており、中島のかんきつ生産農家は、深刻な打撃を受けているとのことであった。しかし、中島のみかん農家は、どこの産地のみかんよりここのみかんが一番という自負があるとのことであった。
最盛期には、中島のかんきつ類の出荷額が年間100億円に達していたが、現在では約27億円まで落ち込んでいます。それでも年間約4万トンの出荷量があり、認定農業者数は松山市の200戸より遙かに多い約300戸もあり、現在でも町の重要な基幹産業であります。意欲と高い生産技術をもつかんきつ農家は、販売についても独自のルートを模索し、成功している農家も多くあり、他の島内のかんきつ農家と比べても、高収入の農家も少なくないとのことであった。
生産農家で伺った話では、消費者の需要の変化に伴って、年間を通じて多くの品種の収穫を可能にしたり(上記写真参考)、減農薬栽培、有機栽培などの取り組みも積極的に行っている農家も多くあるとのことであった。
但し、農家の生産活動に携わる方の高齢化に伴い、かんきつ類の農地保有面積は年々減少し、夫婦2人で平均約15㌶程度とのことであった。
よって、海外でのかんきつ販売については、実際の販売数量にもよるが見通しとして、在庫の確保が問題点になると思われる。
かんきつの海外での販売については、農家の生産、在庫のリスクを、どこが担うかがポイントと思われる。
10月17日(日)ボランティアグループひまわり会の有志が荒神山山頂に集い、清掃と台風21号の強風で、倒れた『真桜』(まことざくら)の再植樹をしました。
荒神山は、松山市高浜1丁目にある小高い山で、頂上に立つと高浜港、松山観光港さらに興居島が一望でき、その視界の良さで、大正11年11月に、この海域で行われた海軍の演習を、裕仁皇太子(後の昭和天皇)が謁見され、後にこの場所に謁見の記念の石碑が建立されました。その石碑の書は、司馬遼太郎の著書『坂の上の雲』の主人公の1人、秋山好古(陸軍大将・教育者)によって書かれています。
しかし、この石碑は長い間忘れられていましたが、地域の有志が地域の歴史の宝を守ろうと、ボランティアグループひまわりを結成して、行政には頼らず、自分たちの力で町興し、地域興しの活動に頑張っています。
その結果、松山市もその活動を評価し、市が推し進めている坂の上の雲まちづくりのマップにも記載されました。
今回は、グループの発起人の1人である秋田さんの、亡きご子息の名前からとった『真桜』の再植樹を、爽やかな秋空の下で行いました。
上記写真は、左から、頂上に立つ石碑、山頂から見た高浜港、四十島(ターナー島)、秋田さんの植樹鍬入れ、ボランティアが力を合わせて作った登山道、植樹会に参加したひまわり会のメンバー。
平成16年度9月議会の、合併問題検討特別委員会での理事者への質疑応答で、中島町の今回の一連の台風による被害について、松山市と中島町は来年1月1日に合併をする予定であるが、松山市として今回の被害復旧についてどのように考えているのか、次の2点について質しました。
①雲峰委員の質問→ 台風18号により、中島町に被害が出ていると聞き、怒和、津和地、本島と視察に行ってきたが、現地での調査や説明によると、農産物で約10億円、また、家屋についても全壊1戸、半壊3戸、一部損壊27戸、床上浸水47戸、床下浸水52戸という被害状況であったが、松山市としては、今回の被害状況をどう把握し、どのような対応を考えているのか。?
理事者答弁→現時点では中島町は松山市ではないので調査はしていないが、被害の明細についての報告は受けている。また、中島町では、災害復旧対策ということで、国や県に情報をあげているので、新市になると当然、松山市がそれら災害復旧対策を引き継いでいくことになる。
②雲峰委員の質問→災害援護資金の貸付について、今回の台風18号がもたらした災害は、松山市の被害状況から考えると、おそらくは、貸付の対象とはならないものだと思われるが、一方、中島町においては、全壊や半壊、一部損壊も含め被害状況は大きいものとなっている。しかし、そういう人たちに対し、中島町では予算がなく貸付することができないと聞いているが、松山市でそれらの人に貸付をすることができないのか。?
理事者答弁→現段階では中島町の方で対応していくことになるが、合併後には、引き継ぐことが必要な分野においては,松山市としても対処していきたい。
10月4日の午後、シニア海外ボランティアとして、ラオスに派遣が決まった高岡さん(松山市在住)は、愛媛県青年海外協力隊を育てる会のメンバーと愛媛県庁表敬の後、松山市役所を表敬訪問して、中村時広松山市長と面談しました。
高岡さんは、ラオスの首都ビエンチャンに市のラオス日本技術研修センターで、電子機器の修理技術の指導や修理測定機器、測定治具の指導を行います。また研修受講者に対する技術の講義も担当します。
シニア海外ボランティアとして、松山市民が派遣されるのは、今回で2人目です。
私は、10年にわたり『愛媛県青年海外協力隊を育てる会』のメンバーとして、志をもった若者の派遣隊員をたくさん見てきました。
若いから決意出来る面ももありますが、高岡さんのようにシニアとして決意することは大変なことであると思います。
今回派遣される高岡さんの決意、志に心より敬意を表します。
(上記写真の前列右が高岡さん、左が中村市長です)