平成17年 1月1日 松山市は旧北条市、旧中島町と合併し『新・松山市』がスタートしました。
元旦の10時30分より、松山市役所本館1階で、松山市議会議員、旧北条市、中島町の関係者ら約二百人が出席し、新市の誕生式が行われました。
挨拶に立った中村時広松山市長は、この合併した3つの地域は、歴史的にみても平安時代の1000年前から地方豪族の河野氏(旧・北条市~松山市)、また忽那水軍(旧・中島町)の活躍によって、長い歴史において様々な経緯のなか密接な関係があったことを挙げ、これらの地域がそれぞれの特性を生かし、ちからを合わせて、日本一のまちづくりに邁進していきたいと述べられました。
最後に、中村時広松山市長、井手順二旧北条市長、武田満幸旧中島町長、池本俊英松山市議会議長らが、くす玉を割り新・松山市のスタートが切られました。
今回の合併で、新・松山市の面積は、愛媛県の面積の7.6%の428.84M2、人口は514,123人(2004,12,1現在)で、あと10年後の2015年には524,000人の人口が予想されています。
上記写真は左から
【くす玉が割られ新市のスタートが切られました】
【市役所本館の壁面に掲げられた合併を祝う懸垂幕】
骨奈島は謎に未知溢れているようだ。神話と事実が神々しい。「忽那」の苗字は珍しくも存在するも史実を考察すると藤原親賢は親王、女王の血縁。その子孫はウィキィペディア文献に詳細がないのは何故か。諸島の隅々の何処かには藤原一族の継承されている家系があるのではないか。推測ではあるが冠の位の藤の紋の使用家があって不思議ではないのではないか。本部が春日大社にある藤裔会は把握しているのであろうか。松山市の政治が正しく強くなければ日本が偽りとなるのではないか。
投稿情報: 遊行の盆 一向 | 2009/06/27 午後 01時34分