26日夕方、市内のホテルで「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」の23年度総会が開催され、運営副委員長である私も出席しました。
総会では、育てる会の会員の皆さまが出席し、昨年度事業計画、今年度事業計画、決算の報告などがあり、すべて承認されました。
今年も私が司会をさせて頂きました。
育てる会の関 啓三会長からは、青年海外協力隊事業は昭和40年にスタートし、派遣職種は140となり、現在76カ国、2,600人の青年が派遣されています。そして現在まで約36,000人のの隊員が帰国し、各地域で各分野で、経験を社会に生かして頑張っています。
本県に於いても、現在30カ国に40人の隊員が派遣されています。
このような国家的な事業に対して、現在の民主党政権は事業仕分けで、昨年度は推進母体のJICAを、今年度は協力隊事業そのものを仕分けして縮小すると伺っています。
非常に残念でありますとありました。
私も同感です、力あるものが弱い人たちを助けるのは当たり前であり、日本は平和国家でありこういった人的貢献が一番相手国の国民に受け入れられ、相互の信頼の絆を深めると思います。
講演会では、「愛媛県青年海外協力隊を育てる会によせて」と題して、加戸守行前知事がご自身の体験を通して、文化や文明の違いを受け入れて任地で活動をされる青年海外協力隊員に対する熱い思いや期待を語って頂きました。
またその後に、恒例の帰国隊員トークショーが開催され、今回は3名の帰国隊員と進行役には宇都宮民アナウンサーが担当され、素晴らしい雰囲気のなかで隊員の熱い気持ちが伝わってきました。
友國さん~タイで大学生に日本の畜産の紹介や実習のサポートをしました。
派遣前の職業は県職員の獣医さんとのことで、県職員としては教師を除くと、初めての現職派遣になりました。
何を学んだかについては、桂浦さんと同じように「豊かさの基準が違うと感じた。ある時には日本が奇異に感じた。」
東北大震災の報に接した時、道を歩いていたら、「日本人か? 家族は大丈夫か? 友人は大丈夫か?」と心配してくれた。
またスラムの貧しい人たちが募金活動してくれた。
更にタイ政府は電気の不足を補うために国内で休止中の発電所を1カ所を日本に搬送し使ってもらうと決定したそうです。しかも震災後18日目にこれを決めたそうです。
一方、未だに何の対策も決められないどこかの政府とは大違いである(是は私見です)
桂浦さん~ドミニカで観光振興の仕事をされ、素晴らしい海岸だけではリピータ率のアップは図れないと、ドミニカ独自の土産や食べ物などを開拓したそうです。
特にドミニカしか無い宝石のラリマール、高品質の琥珀など、現地の人には当たり前のものでも価値があることを教えたそうです。
何を学んだかについては、「こんなに貧乏なのに、ものが無くても、世界で幸せと感じる国の2番目であり、心豊かな国に感動」 したそうでした。
東北大震災の報に接した時、多くのドミニカ人から心配して電話があった、道で実知らぬ人からも家族は大丈夫かと聞かれたそうです。大学では募金活動もしてもらいましたとのことでした。
清家さん~任地のマラウイでは、農業普及員として活動されました。
派遣国で学んだことについては、得られたものがが多くあった、親しい友人が出来たことです。考え方、言語が違うけれど笑う、怒るは同じです。先ず自分が心を開いたら友人になれるという自信がついたとのことでした。
東北大震災の報に接した時、仙台出身の隊員に対してみんなが心配してくれた。マラウイから帰国するときに外務大臣から感謝状授与があったときに、震災の犠牲者のために黙祷をして頂き感激しましたと云われていました。
上記の写真で赤い布を広げていますが、これは現地の方が使っている腰布で、大変鮮やかでした。
最後の懇親会では、中村時広知事から激励のお話がありました。「えひめ愛顔(えがお)の助け合い基金」を活用して、震災で被害にあった高校生の修学旅行生を今年度10校の受け入れが決まったことなど、嬉しいお話も頂きました。
毎年こういった青年たちと語らう時間を頂き、素晴らしい活動を伺うことで、元気にさせて頂きます。
是非、愛媛県青年海外協力隊を育てる会に入会してください。こんなに爽やかな感激味わえますよ。