松山で最後を迎えた俳人・種田山頭火が70年前の1939年10月1日に旧高浜港に到着しました。
この来訪70周年を記念して、旧高浜港の近くに句碑の建立され除幕式が行われました。
山頭火は、本市への来訪後、市内の一草庵で暮らし1年後に亡くなりました。
この句碑の建立には、地元の「ターナー島を守る会」が中心になって呼びかけ、NPO法人「まつやま山頭火倶楽部」などが協力して募金を募り、伊予鉄道から線路沿いの土地を無償で借り受けて今回の句碑建立が実現しました。
句碑の場所は、高浜1丁目、伊予鉄高浜駅から県道沿いに約250M南の県道横です。
除幕式では、約80人が参加して、地元高浜小学校生徒、ほか地域の代表者が除幕、献句吟詠の後、山口県、熊本県など山頭火ゆかりの地の石や大好きであった酒などが供えられました。
ターナー島を守る会の上堂秀一郎会長からは、「高浜地区に山頭火の句碑がなくずっと建てたいと思っていた。皆さまのお力添いで実現できました」と挨拶がありました。
また、金本房夫松山市教育委員会委員長からは、「心と心の繋がりが文化になる。山頭火を受け入れた松山の市民の心が素晴らしい。そして嬉しい気持ち、楽しい気持ち、ありがたい気持ちが文化である。」とお祝いのお言葉がありました。
上記写真は左から
【句碑の除幕式】
【山頭火の句碑】
【県道と伊予鉄道の間のスペースに建立されました】
【金本房夫松山市教育委員会委員長のご挨拶】
【山頭火の句碑の説明文】