大分視察の最後は、豊後高田市の「昭和の町」について豊後高田市観光まちづくり株式会社の担当の方から詳細を伺いました。
豊後高田市は、平成17年に1市2町の合併で新市としてスタートし、現在人口24,000人です。
戦前戦後、豊後高田市は、竹と坑木のこの地域の集散地として大変栄えており、中心部の8通りで形成されていた商店街は、昭和30年代まで国東半島で最も栄えた商店街であったそうです。
最盛期には8つの商店街で300の店舗がひしめいていたそうです。
しかしその後、鉄道の廃止や大型店の郊外への出店、更に過疎化のために衰退し、近年では、「犬と猫しか通らない」と言われるほど寂れた商店街となっていたそうです。
17年前、この街でも商店街の復興を目指し大手広告代理店に再生案を作成を依頼したそうです。提出された案では、中心地に大きな箱物を建て、その中に商店街を再構築すると云うもので、膨大な資金が必要となる案であったそうです。
しかしその計画を推進する資金が、商工会議所、各商店、そして行政には無く、断念したそうです。
しかし、その断念が「我が地域の商店街の復興は、我々の手でするんだ。」との機運が広がり、その後現在年間30万人以上の観光客が訪れる「昭和の町」の商店街が再興の発端となったそうです。
平成13年に始められた町おこしで、衰退のために建て替えが進まず、昭和30年代以前の古い建物が約7割も残っていることを逆手にとって、商店街に賑わいを取り戻すために中心商店街に昭和30年代の町並みの再現を目指したそうです。
この昭和の町については、4項目の基準を設定し、これを満たした店舗について、認定をする制度になっています。現在37店舗が認定を受けています。
4項目とは
・昭和の建築再生 (費用は県・市・商店 それぞれ1/3)
・昭和の歴史再生 (1店1宝)
・昭和の商品再生 (1店1品)
・昭和の承認再生 (対面販売)
その他にも様々な試みを行っており、観光客との対話を重視した「ご案内人」、またボンネットバスの導入、「昭和の夢町三丁目館」、「旬彩 南蔵」、「駄菓子屋の夢博物館」などを次々に打ち出し、併設し、リピート客を取り込み、現在観光客年間30万人を維持しています。
今後の課題として、食べ物屋、お土産売り屋などは観光客の恩恵を受けやすいが、昭和の町に必要である、履き物屋、電気屋、金物屋などの商店への恩恵が少なく、店舗で収益の差が出ている問題があるとのことでした。。
この昭和の町は、大手広告代理店の再生案について、資金難と云う現実を前に再興の挫折からのスタートでしたが、ある1人の商工会議所の職員の発想の転換で昭和の町が立案され、それを行政や商店主が応援、推進した結果、今日の昭和の町が完成したと伺いました。
今回の視察で感じたことは、この昭和の町づくりについては、いくつかのラッキーな点もあったと感じましたが、それを生かした商店主、商工会議所、更に行政の努力と意欲に感動しました。
上記画像は左から
【昼食はこの喫茶店で「昭和のハヤシライス」を食べました】
【商店街は懐かしい昭和の時代でした】
【昭和30年代を想わせる台所】
【 同上 懐かしい「ちゃぶ台」を発見】