11月1日、島根県海士町を訪問しました。
先ず『ないものはない』という言葉は、無くてもよい、また大事なことはすべてここにあるという2つの意味をもちます。
離島である海士町は都会のように便利ではないし、モノも豊富ではありませんが、その一方で、自然や郷土の恵みは潤沢であり、暮らすために必要なものは充分あるとの想いを表現する、海士町を象徴する言葉です。
今回の視察は、全国の離島での課題である過疎化、少子高齢化のなかで、「どのような活性化策があるのか、離島再生のキーワードは何か」、と悩むなかで、公明党、山本博司参議院議員から、海士町の試みが参考になるとのアドバイスを頂き、会派3名での視察訪問となった。
海士町は、島根半島の沖にある隠岐諸島の中ノ島にある1島1町の町で、面積33.5Km2 人口2,350人の島であります。(現在高齢化率39%)
海士町は自給自足が可能な半農半漁の町であり、ほかに主な産業はなく、多くの離島のように公共事業に頼る体質であったが、その結果平成13年には地方債が100億円を突破し財政的にも危険な状態になりました。
このままでは町の存続が難しいと、折しも平成の大合併のなか町長は、合併では住民へのメリットがいかされないと判断、平成15年12月に苦渋の決断をし、合併協議会を解散、単独町制を貫く覚悟を決め、住民代表、議会、行政が共に町の生き残りをかけて「自立促進プラン」を平成16年3月に策定した。
ここから海士町の反転攻勢が始まりました。
「役場は住民総合サービス会社である」という観点から、「お役所仕事」の意識を一掃し、徹底した行財政改革と地域資源を生かした産業振興という「守り」と「攻め」で財政再建に着手しました。
「守り」の一手は町役場の人件費削減であるとして、平成14年就任した山内道雄町長は「自ら身を切らないと改革は支持されない」と自分の給与の50%を返上、一般職員(平均22%削減)も含め、平成16年度から給与削減を始めました。
課長級以上で町の諸課題を話し合う場は「経営会議」と名付けられ、就業時間外の木曜日午後5時15分に始めるなど、役場職員の意識変革は着実に進みました。
「攻め」の柱は豊かな自然の恵みを生かした第1次産業の再生です。
先ず始めたのが『海士いわがき』の養殖で、「国内で最も競争が厳しい市場で認められれば、ブランド価値が高まる」と、出荷先を首都圏に絞ったところ大好評で今年度の売り上げ目標は7,000万円を見込みます。
その他、島ブランドとして売り出し大好評なのが、CASと云う新冷凍技術を活用した、『旬感凍結「活いか」』、「隠岐牛」、「海士ノ塩」、「さざえカレー」などです。
海士町の取り組みでユニークなのは、前記の新ブランド創出の一翼を担っているのが島外から移住してきたIターンの人たちということです。
この島には、承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇が配流されており、その後も高貴な政治犯などの流刑地として多くの人が生活した経緯があり、所謂「よそ者」に対して寛大であり、違和感が無いという島気質があり、多くの青年層を中心に人が人を呼ぶ形でIターン移住者が増加しました。
その結果、本年3月末で188世帯、310人がIターンして在住しています。
人口2,350人の約1割以上がIターンであります。
彼らの多くは「海士町には“宝物”が眠っている。この町で自分の力を試したい」と語り、その陰には「やる気のある人にぜひ来てもらいたい」という町職員の積極的な働き掛けがあったことも見逃せません。
町では、このIターンの促進策として毎年定住住宅の建設をしています。
また少子化対策として、20万円の結婚祝い金、4人目以降最高100万の出産祝い金、島には産婦人科医院がないので、妊娠出産交通費助成などがあります。特筆すべきは、これらの祝い金、助成金は、職員給与カット分5%や議員の給与40%カット分を充当していることです。
また海士町が最も力を入れているのは教育で、教育が充実すれば子どものいるIターン世帯の定住促進につながり、この島で育った子どもたちには将来、島に戻って活躍してほしい、との思いもあります。
島内にある県立隠岐島前高校は、隣接する1町、1村の3町村で唯一の高校ですが、この10年余で入学者数は激減し、統廃合の危機が迫っていましたが、こうした危機感から始まったのが高校魅力化プロジェクトでした。
Iターンである高校魅力化プロデューサーの青年が地元3自治体、高校と連携し、特色ある学校づくりを進めました。
「地域で起業できるような人材を育てたい」という思いから、本年4月から実践的なまちづくりや商品開発などを通して地域づくりのリーダー育成を図る「地域創造コース」を創設しました。
また島外で受験勉強をしなくても国公立や難関私立大学への進学を可能にする「特別進学コース」も開設し、高校と連携した「公営塾」もつくりました。
更に昨年から始めた「島留学」では、町が寮費や食費を補助し、全国から集まってきた生徒との触れ合いを通して、離島の高校を活性化する狙いがありました。
その結果、島根県は来年度から同校の入学定員を2学級80人に拡充することを決めました。これは離島や過疎地域にある高校では極めて異例で、今後も入学希望者の増加が確実に見込めるからだとのことでした。
また今春卒業した生徒の約3割が国公立大学への合格を果たし、離島の学校で、着実に「人づくり」が進んでいました。
説明された課長の言葉に島の存亡を掛けているという気迫が感じられた。
驚きは、「自立促進プラン」を平成16年3月に策定してから、僅か8年でこのような大きな成果を挙げている点です。
松山市でも平成17年に旧中島町と合併し7年経過している。
島の立地条件としては、海士町は遙かに条件が悪いと感じましたが、そのハンディキャップをアドバンテージにしている点が、素晴らしいと感じました。
今回の視察を終えて痛感したのは、離島の過疎化、少子高齢化などへの挑戦のキーワードとして、「人づくり」がポイントであると感じました。
上記写真は左から
【「ないものはない」のポスター】【海士町の玄関、菱浦港ターミナル】
【海士町の位置看板】【隠岐牛は全て生きたまま首都圏に出荷】
【「海士いわがき」の養殖】