「海の日」7月17日にちなんだ話題です。
『高浜港』の生い立ちは・・・・・
そもそも、明治中期までは、三津浜港が県都・松山市の海の玄関でした。当時、高浜の港は小さな港で三津浜港の避難港の存在でしたが、明治25年に伊予鉄道が、高浜まで延長され、それが起因し高浜築港の機運が盛り上がりました。
高浜港は、対岸の興居島が天然の防波堤になり、しかも水深が深く大型船の発着できる自然環境がそろい、大型輸送時代にふさわしい条件を備えていました。
明治27年の日清戦争が始まると、兵員、武器弾薬などの軍事輸送は高浜港で行われるようになり、その後の日露戦争の勃発に伴い、軍が高浜港周辺の開発に取りかかり、新しい埋め立て地が完成し、桟橋などの港湾施設の完成で、明治39年(1906年)9月11日を期して、高浜築港開港式を迎えることとなりました。
その後、海の玄関高浜港はにぎわいを見せましたが、戦後、大型貨客船や大型フェリーの需要が高まり、高浜港では手狭となり、昭和43年(1968年)に、高浜港から北へ800Mの場所(高浜5丁目)に新しく、松山観光港を開港することとなり、それと同時に、高浜港は、興居島、中島への内航船の発着港としての役割を今も負っています。
【上記は、開港100周年記念行事を案内するパンフレットの裏表です】