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東京駅から上越新幹線で約1時間、群馬県高崎市で下車、そして上信電鉄に乗り、約40分で今日の視察先の富岡市に着きました。
駅では富岡市議会の担当の方が出迎えて頂き、歩いて10分ほどで、目的の「富岡製糸場」に着きました。
中学校時代の教科書に載っていたあの風景と同じであり、改めて感動しました。
早速、市役所の担当課長様から説明を受け、施設内の見学をさせて頂きました。
約1万5千坪の敷地内には、開設当時の東・西繭倉庫、繰糸場、事務所、外人宿舎など煉瓦建造物がそのままの形で残っていました。
煉瓦の積み方、木材の組み方、基礎石の仕上げなど、フランス式、イギリス式など西洋風の様式が取り入れられ、予想していた以上に保存状態も良く、非常に貴重な近代化遺産であると思いました。
この冨岡製糸場は明治5年に明治政府が日本の近代化のために日本で最初に作られた製糸場です。
ですから最初は官営でしたがその後民間の三井財閥に払い下げられ、その後変遷があり昭和14年に片倉製糸紡績会社(現・片倉工業)の所有となり工場閉鎖する昭和62年まで約115年間操業を続けました。
その後施設は片倉工業が管理していましたが、全ての建造物は平成17年に富岡市に寄贈されました。
現在、群馬県・富岡市を中心に富岡製糸場とそれに関連する絹業文化遺産を世界遺産に登録するために、周辺の絹産業の歴史的遺産施設などの整備が終われば、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ世界遺産登録申請をする予定であるそうです。
上記写真は左から
【富岡製糸場入り口にて】
【地域から集まった繭を保管した倉庫の建物】
【繰糸場(繭から糸をとるところ)の屋根を支えるトラス構造の屋根の状況】
1月28日会派の同僚議員3名と東京都千代田区立千代田図書館の「WEB図書館」を訪問しました。 この図書館は、昨年11月26日日本の公共図書館では初めてインターネットを活用した図書館としてスタートしました。
このサービスは、電子図書をインターネット上で貸出・返却を行なうもので、インターネットが使えるパソコンなら、24時間365日電子図書を借りることができ、パソコン上で読めます。
借りた図書は、普通の本をめくるように画面上で見ることができ、また、音声や動画再生もできます。もちろん、返却のために来館する必要もないので、来館が困難な障がい者の方や多忙なビジネスマンが気軽に図書を借り、即調査や学習に役立て、より図書館を身近に感じさせてくれます。
また、このWEB図書館で貸し出される本は、かさばらないので書庫スペースがいらなく、パソコンのサーバーがあれば良いわけで、今後全国にこういった図書館が増えれば、出版業界にも大きな変化が起こる可能性があり、従来の図書館の形態も変わる可能性を秘めていると思いま。
このWEB図書館の他の特徴としては、画面上で文字の大きさを自由に拡大・縮小できるため、ご自分の読みやすい文字の大きさで読書を楽しめます。
また大活字本のように、視力の弱い方も読みやすくなったり、音声や動画再生ができたり、文字やラインなどの書き込みができるため、より効率よく学習・研究することができます。
現在、ほとんどの公共図書館では、書き込みの必要がある問題集などは所蔵していませんが、デジタル図書の導入により、そのような図書も所蔵することができます。
また、音声や動画再生により、外国語のリスニングなども可能になります。
そして、このWEB図書館では、先ず図書の返却の遅延はありません。そして盗難も未返却もありません。
決定的な違いは運営コストで、このWEB図書館のシステムは、3,000種で各3ライセンス(冊)を購入した費用を合わせて500万円で構築したとのことであります。
ほかにもインターネットを利用した様々なコーナーもあり、こういった柔軟は発想が出来たのも、図書館長も含めすべての業務を一括して指定管理者制度(指定管理期間5年間)を導入し、積極的に民間的手法を導入した結果ではないかと思います。
1月25日、同じ高浜校区の高浜5丁目に在住の廣瀬 悠(はるか)さんのお宅を山本博司参議院議員、木村 誉県議会議員等と訪問しました。
廣瀬君は、小さい時から柔道に励み高校2年の時に目を患い、その後の治療でも回復せず、一度は柔道を諦めたが、鍼灸師の資格を取るために入学した県立盲学校の先生から視覚障害者柔道の存在を知り、再び夢を追いかけて挑戦し、昨年8月にブラジルで開催された世界大会で入賞し、更に12月に東京で行われた代表選考会を兼ねた障がい者柔道大会100キロ級で見事に初優勝して、9月のパラリンピック北京大会の出場が内定しています。
「初めてのパラリンピック出場であり、緊張しています」と笑顔の廣瀬君からは、大きな夢を追う青年の息吹を感じました。
また廣瀬君は、山本博司参議院議員に世界の障がい者スポーツへの取り組みは、健常者のスポーツと同じくらい取り組んでおり、柔道でもオリンピック参加選手のコーチが直接指導している、日本でももっと障がい者スポーツに力を入れて頂きたいなどの要望もありました。
まだ28歳、北京大会の次はロンドン大会と、障がいを乗り越え、夢に向かって挑戦する若者にエールを贈ります。
写真は、ブラジル大会で使用した日の丸入りの柔道着を着た廣瀬君を中心に記念撮影です。左から木村県議、廣瀬選手、山本参議院議員、くもみねです。
1月23日、三津浜支所の3階で、市民、党員のみなさま約75名が参加して市役所の出前講座を利用して、市民参画まちづくり課の池田主幹ほか2名の方々に依る「悪徳商法に騙されないために」の講座を開催しました。
講師からは、「絶対に私は騙されない」と思っている方が一番騙されやすいとの指摘。
一番は、うまい話にはのらないこと、またおかしいなと思ったらはっきりと断ること、すぐ知人とか市役所に相談してみることが大切である。
特に高齢者を狙う電話勧誘には注意が必要で騙されないポイントは
①勧誘電話は台風と同じ→長く時間がかかると被害が大きい
②お話好きは赤信号→何気ないおしゃべりからあなたの情報が聞き出されます
③言葉のキャッチボールはしないこと→勧誘電話は長くなると断りにくくなる
→日頃から断り文句を紙に書いて何を言われてもそれを読んですぐに電話を切る習慣を・・・・
受講者からは、云われてみて改めて恐いと感じたとか、突然裁判所からの督促状が来たりして不安であったが、これからは悩まず棄てられると云われていました。
1月21日~22日に、市議会の都市活性化特別委員会の行政視察で熊本市役所を訪問しました。
福岡経由してjRで熊本市に入りましたが、車窓からは九州新幹線全線開通を目指し、急ピッチで進む高架工事がいたるところで進んでいました。
新幹線が平成23年春に熊本市乗り入れると博多まで35分、鹿児島市まで45分、新大阪まで2時間50分と、大幅に時間短縮され、観光、産業の活性化が進む中で、一方で更に、都市間、都市圏間の競争が激化すると云われています。
現在熊本市は、人口66万人であり現在の中核市から政令市を目指し、次代に即した新しいまちづくりが進められようとしています。
今回の視察のテーマは次の2点でした。
①都市計画道路の長期未着手の道路計画について
②中心市街地活性化基本計画について
ともに現在の松山市が抱えている問題であり、特に②の中心市街地の活性化については、今年3月を目処に、中心市街地活性化基本計画の策定、国への申請を行う予定となっています。
既に熊本市は基本計画が昨年5月に国より認定を受け、46の事業を5年以内の完了目指し、総事業費が約1,300億、熊本市の負担は約300億で進めているとのことでした。
差額の1,000億円は、国、民間活力を利用するなどして進めるとのことでしたが、中心市街地活性化のポイントである、中心市街地の住民の増加については、マンション建設などの民間活力に頼るとのことでした。
それで熊本市は民間活力のサポートする環境作りをすると云うが、最終的には民活頼りに聞こえ、経済の変化で左右される恐れがあるのではと、そのあたりの不透明さが気になるところでありました。
帰りにアーケード街の入り口で一つ気になる風景に出会いました。
アーケード街に二輪・自転車の駐車が一台も無い!
松山市の大街道のように自転車がいっぱい置かれた風景を見てるだけに、自転車が無いアーケード街は本当に歩きやすく、これならショッピングが楽しいと感じました。
市民の移動手段に於ける自転車、二輪の利用率は、松山市が34% 熊本市が22%で松山市の2/3とは云え、なぜ、アーケード街に自転車・二輪の駐輪が無いのかは今後の研究課題にします。
上記写真は左から
【熊本市役所で市の担当者から説明を受けました 2枚】
【中心地のアーケード街入り口付近 二輪・自転車は見えない】
市議会公明党 ( 8議員 )は、市民の健康を守るための様々な施策を推進してきましたが、昨年10月より、松山市急患医療センターの小児科の診療時間が拡充されました。
松山市急患医療センターの小児科の診療時間は、日曜、元旦を除く月曜日から土曜日の21時から翌朝の8時まででしたが、昨年10月からは日曜日についても同様に診療が受けられるようになりました。
但し元旦の午後9時から12時までの3時間についてはまだ休診ですが、これでほぼ365日の夜間の小児救急医療体制ができました。
全国的に問題になっている夜間小児救急医療は、少子化、核家族化の中で、育児に携わる若い世代は、子育ての知識・体験を継承する機会が乏しい反面、マスメディアからの情報は豊富で、還って育児不安が増大していると云われています。
また共働きの家庭が増加しており、昼間に子供の様子が見られず、帰宅して初めて子供の異常に気付き、夜間に受診するケースが松山市でも増えています。
更に小児科医師が常駐し、医療設備の整った医療機関への受診志向も強くなっています。
今回の日曜日の診察時間の拡充で、若いご夫婦から「これで日曜の夜も安心です。」と大変好評です。
このような、年間を通じて全深夜帯をカバーする松山市の小児救急医療体制は、全国 35の中核市のなかでもトップクラスです。
19日午前中、久しぶりに「ターナー島」の対岸にある通称「ナマコ山」に登りました。
ターナー島(四十島)は三津浜のさらに北、高浜港の沖合に浮かぶ周囲150mの小さな島で、周辺は四十島瀬戸と呼ばれ、潮流が激しいことで知られています。(なぜターナー島と云われるかは上記の立て看板をご参照下さい。 )
私がまだ高校生の頃まで、このターナー島には樹齢150年を越す松が茂っていましたが、昭和50年代に松くい虫の被害にあって一度は枯死しました。
しかしターナー島のシンボルであった松を何とかよみがえらせようと、当時の高浜小学校の北岡杉雄先生や地域の方々の長年の努力の結果、ターナー島に現在の見事な松を復活させることが出来ました。(現在のターナー島の松は上記の写真ご参照下さい。)
昨年3月に北岡杉雄先生にお会いした時に、「ターナー島の対岸のナマコ山の松の木がまた松くい虫の被害に遭い枯れているが、ターナー島の松に松くい虫の被害が及ばないよう、枯れた松を早く伐倒して欲しい。」と要望がありました。
また地元の「ターナー島を守る会」の方からも同様な相談があり、早速担当課に枯れた松の写真を持ち込み、現状を訴えました。
松くい虫の被害拡大を防ぐには、被害木の早期駆除がもっとも効果的です。
その後担当課でナマコ山の松を調査、そして8月に約20本の枯松を伐倒して頂きました。
しかし松くい虫の被害は、春から夏に現れます。今後も松の状態に注意が必要です。
上記写真は左から
【1・2枚目 上段が伐倒前で、下が伐倒後の状況です】
【今日のターナー島】
【ターナー島の由来が書かれた立て看板】
松山市では、道後温泉を全国にPRするため、市役所から発送する「料金後納郵便」の印の下半分を利用して、道後温泉のロゴにシンボルマークの「湯玉」と「四国・道後」の文字を入れた2種類のスタンプを作製し、郵便物への押印を始めました。(上記画像参照)
担当課の話しでは、「スタンプの下半分は、自由広告欄として使用できるので、今後、例えば松山城、坂の上の雲などその時々の旬な観光素材をあしらったスタンプを作製していきたい。」 また「他の各課で、観光PR以外の目的で、各課にふさわしいものを取り入れたスタンプも作製したい。」とのことでした。
そして、この道後温泉の料金後納印は、道後温泉旅館協同組合でも、今月末ごろから使用するとのことです。
市民の皆さんにこの料金後納印が押された郵便物が届いたら、きっと道後温泉に行きたくなると思います。